piece
ひとは記憶の集合体だとか、出逢ってきた誰かが自分をつくるんだとか言うでしょう。
最近しみじみとそういったフレーズに同意してしまう。
たとえば私は(最近まで無自覚だったが)恐らく相当音楽にどっぷりと時間を費やしているが、高校時代に仲良くなったJ君が好きだと言うCDを貸してくれたことが始まりだった。
私がその曲にハマるとは、J君も予期していなかった筈だ。ただの話題作り、親交を深める為のワンステップ。「へーこういうの聴くんだね」で終わってしまっておかしくない程度の、何気ない貸与だった。
しかし私は一度聴いたその曲が耳にこびり付き、何度も何度も何度も再生を繰り返し音に溺れ、歌詞カードを熟読し、不明な歌詞を辞書で調べた。iTunesをダウンロードし、ヘッドフォンを買い、iPodを買った。
そうして音楽は紛れもなく私の趣味の一つとなった。
そういう意味で、彼は私を変えた。私の人生を変えた。
不思議に思うべきか、或いは畏怖すべきかもしれないが、J君からすれば「気に入ったCDを1枚貸してみた」だけのことだ。
それがこんなにも深く、私とその後に波紋を残している。
J君だけではなく、私を変えた人は大勢いる。
小さいことでも、思い返せばちゃんと始まりが見つかったりするので面白い。
からだ巡茶を見かけるたびに買ってしまうのは、華奢な体躯の同級生に憧れていたから。
彼女は毎日のように、あの細身のペットボトルを抱えていた。
大学時代に「鯛焼きを食べたことがない」とふと告白したら、驚いて街角の鯛焼きを奢ってくれた友達。
思っていたよりもシンプルな食べ物で、今はクリームチーズ味が好きだ。
交差点で黄色い点字パネルより前に立たない。
そこより前に立って信号待ちをする人間を、とある友人は心底憎んでいて、露骨に舌打ちしたりするのだ。
* * *
年に何度かはがきを送り合う子に、この前「私の一部はあなたからの影響を受けて出来ている」というようなことを書いた。
暫くしたら返信が届いた。
「旅行先から手紙を出そうとしたけど忘れてしまった。家に帰ったらはがきが来ていた。
考えるタイミングは似るんだろうか。あなたも充分に私の一部だよ。」
きっと誰もが、知らず知らずの内に誰かの一部になっている。
あなたが好きなもの、あなたが嫌いなこと、あなたが言ったこと、あなたがすること。
誰かが見ていて、誰かが受け止めて、あなたは誰かの一部になっていく。