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歌詞について、は、あまり語りたくない。
(何についてもそうだけど)騙りになってしまいそうで。

A「自分の立ち位置、わかってる? どこに立ちたいかちゃんと見えてる?」

彼がそう言うので。今の自分を見つめなくては。


にゃっぽん*1に入りたての頃は、とにかく“作詞家の地位向上”を目指していた。
作詞が大好きで、優れた歌詞には力があると信じていた。
いや、今でもそう信じている。でも、それで作詞家に光を当てるのはどうかなーと数ヶ月前から考えている。


曲を聴いてもらう為の近道は名を売ること。その考え方は間違っていない。
普通曲を聴くかどうかの選定は歌い手が誰かで決まるけど、初音ミクという広すぎるジャンルではむしろ作り手=P(プロデューサー)が誰かで決まる。
一発当てるも良し、connectionの有効活用も良し。…それがどれほど難しいことか、ということは今は置いておこう。
だから作詞家も名を売ればいいんだ、と思っていた。やはりこの考え方も間違ってはいない。少ないながらも著名な作詞家さんはいるし、「××さんが作詞と聞いて!」とホイホイされてくる人もいる。


けどさぁ、歌詞って結局、単体ではどうにもならない存在なのよね。
詩とは違い、メロディありきの文章。書かれた歌詞だけ読んでも良さなんて見出せない。歌詞だけ前面に押し出そうとしていた自分は浅はかだったなぁ。それは歌詞じゃないのに。


だから(と直結するわけではないが、紆余曲折を経た結果として)今は名を売らない、というか極力名前を出さない方向にいる。できるだけ最低限に留めておきたい。
動画のタグに載っても自分で消去するレベル。


他にあげられる理由としては…
・結局みんな歌詞なんてどうでもいいんでしょ、という諦念。
 他人に求めてもしょうがない。本当に。
・自己顕示欲を突き進めた末の自分を見たくない、という懸念。
 ブログとか書いちゃってる時点で相当だけどねぇ。
・有名になった先にあるリスクを背負えない、という予見。
 これはある人を見ていてつくづく思った。個人の手を完全に離れていく、あれは恐ろしい。


器じゃねぇよ、ってことなのかも。向いてないんだと。
でもそれで自負を失ったとか、そういうことではないよ。上辺だけは謙虚になったということかも。
歌詞に何ができるか、歌詞に何が求められているか。何度でも考え直すだろう。


究極の自己満足、それで結構。
読まれず、認められず。それでもそこに意味/世界/景色はある。
触れたい人だけ触れれば良い。いつだって答は用意してあるのだから。

*1:VOCALOID専用SNS