prejudice

「偏見の無い人」は単なる愚か者だ。
偏見とはその人がそれまでの経験で積み上げてきたその人特有のショートカットツールと定義している。


たとえば、〈金髪でピアス=不良〉という偏見を持っていた人がいたとしよう。
彼/彼女は今まで実際に、髪を金髪に染めてピアスを開けた人に出遭っている。金髪ピアスの行いを見届け、「あいつは不良だ」という認識が育つ。
次に別の金髪ピアスに遭った際、その認識は再び脳内に浮上する。偏見として。
偏見の多くは予防線だ。生きていく中で蓄え続けていく、いつ使うかもわからぬ多くの予備/事前知識。それらが無ければ人はどうなってしまうのだろう。何を見てもいちいち感動し、当惑し、常に全力で取り組まなければならない。何と言う労力の無駄!*1
偏見を取っ払えば、記憶装置の破損した脳があるだけだ。偏見とはつまるところ、経験則そのものから成るのだから。


った方とは良く言ったものだ。まさしく自分の眼を通しているからこそ、同じモノを見ていても認識はズレていく。
それぞれの視界で、それぞれの感覚で。それぞれの世界は構築されていく。

*1:ヒトはその怠惰さ故に進化してきたというのに。